日々のこと23

ジョギング4 カンジャ編




 神戸に行ってきた。
歌手なので歌ってきたわけだが、心残りなのは走れなかったこと…
などとトボケタことを言ってていいのか。

新神戸駅の裏には「布引の滝」があり、
結構な坂道を登っていくとやがて六甲の山々を結ぶ道にでる。
以前走ったことがあるので、今回もひそかにネラッテいたのだけど時間がなかった。
午後3時の楽屋入りからリハ、本番、終了の合間にと思っていたのだが、
実になめらかな時間配分で、大きな空きがなく出るに出られなかった。
普通は感謝する事らしいが…

 ぼくはイチオウ「タレント?」なので、
舞台や放送でしゃべった事がおおげさになってしまう傾向がある。
それで、いちいち弁解するのもいやなので、人前ではなるべく喋らないようにしている。
ここで突然、最近小室さんに舞台でツッコマレつづけている
「喋らない恒平」の弁護をしている。
分からない方には丸で分からない。
すみません。

 
 で、ジョギングのこと。

フォーク界では、高石さんが図抜けたランナーである。
記録的な評価で言うと、ぼくは足元にも及ばない。
彼の5キロの記録はぼくの最高より1分は速い。
これはマラソンでだと実際には14,5分は違ってしまう。
当時練習量は彼よりずっと多かったのだが。

 ランニングというのはシビアで、持って生まれた資質が表れやすい。
ぼくの練習量(たぶん内容も)であれば、
ぼくよりずっといい記録を出せるランナーはたくさんいる。
実感としてはジョガーの過半数はぼくよりいいだろう。

 
 しかし、ぼくも含めて、それだからといっていやになって走るのをやめてしまうジョガーは
あまりいないだろう。
そう、これが走ることの最大の特徴といっていい。
たとえば、テニスなどの対戦競技だったらどうだろう。
人一倍の練習をして臨んだ試合で手もなく捻られつづけるのでは、
ラケットは置いてそろそろクラブにしてみようかな、などと思ったって不思議じゃない。
ま、それはそれで、今度はグリーン上に修羅場が待っていたりするのだが。
それはこれらのスポーツが、勝負を大きなファクターとしているからにほかならない。
 

 
 そして、ジョギング、ランニング。

先頭集団以外の参加者の大半は、対戦相手は自分自身である。
それが記録であったり、完走であったり、少しずつテーマは違うものの、
他者との勝負というファクターはほぼ消えている。

 数年前の何かの対談で、野性の動物は走った距離、速度を数値化して、
それにおおいなる意義を見出したりはしないけれど、ぼくのようなジョガーも、
千日回峰行のえらいお坊さんも、ヒトはこれがあるとないとでは意欲に違いがでるよね。
などとエラソウに発言して、宗教関系者のヒンシュクをかった。
別にサ、お坊さんが千日走りつづけたこと自体に価値を見出しているわけではないことは
承知しているつもりだヨ…

 
 そして、またまたジョギング、ランニング。

実は記録なんてどうでもいい、素敵な世界が待っていたりする。
もちろん、深い緑の下、人里離れた山道を走れば、
それは感動モノだということは走らないヒトにも了解してもらえそうだが、
本当は近所の公園や、街中でさえも、ちゃんとその感動は手に入れられるのだ。
 この説明は次回ね。
と、安請け合いしていいのかな。
これがなかなか知らない人にはムズカシインダよ。

ね、ランナー諸君!





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