日々のこと 42
 耳 の 惑 い 萩原健次郎のこと
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 5月23日京都・ほんやら洞ライブの印象を報告しておきたい。
その日一緒した萩原健次郎氏の命名による『耳の惑い』というこの試みの、
これは“読後感”である。

 僕の萩原健次郎体験は、詩集『K市民』に出会ったことにたんを発する。
 彼の数冊目にもなる作品ではあるが、残念ながらそのときまで、
僕はこの詩人の存在を知らずにいた。
 現代詩という分野には疎い僕だから知らなかっただけで、
京都在住のこの詩人はすくなからぬ影響をまわりに及ぼしていたのだった。

 それにしても『K市民』は、強烈な音楽を僕に残した。
つまりは、それまでの僕の、詩集というものの読み方とはまるで違うことになった、
ということでもある。
この詩集は、たった一編の詩で成り立っている。
読み始めたら最後、読破する以外に方法のないものだったのだ。
一、二時間に及ぶシンフォニーを聴くのと、ほぼ同じように。
 ただし、その“音楽性”はシンフォニーとはずいぶん異なるけれど。
ともかく一度、音楽CDアルバムを聞くような気分で、
詩集『K市民』を開いていただければ、簡単にわかることだ。
 音楽なのだ。
しかしてジャンルは?と問われれば、ここでは種明かしはしないで
萩原音楽としかいいようのないという、
きわめてだらしのないスタートを切らせてもらおう。。

たとえば同じ質問を、この詩集の読者のうち、音楽を感じたという人にぶつければ、
まあ、半数はジャズのインストゥルメンタル曲を主張するんだろうな。
そして残る半分は現代音楽を彷彿させられたというようなことなのだろう。
 そうなのだ、音楽といってもボーカル系を主張してくれる人は、
読者の中には、あんまり期待できないような気がする。

 かく言う僕も、後日、萩原健次郎の詩のリーディングを聞くまで、
ずっとインストゥルメンタル派だったのを白状しなければならない。
 そう、全然違うのだ、この認識は。

 器楽曲として、この詩人の曲、ではない作品を読んだって十分感動できるのだけれど、
それは、認めるし、認めてほしいのだけれど、
 その程度の認識では埋められない大穴があることは決して錯覚ではなかったと、
4月29日の東京、日本近代文学会館での朗読会で、はっきりとしたのだった。
 話は前後するが、萩原氏にひとを介して、ジョイント・ライブを申し込んだのは、
今春のことである。
 即座に承諾を得たのは幸運だった。
ただし、まるで夢遊病のようにすらすらと、ジョイント云々と、
口にしてしまった神経が、今もって我ながらわからない。
図々しすぎる。
 しかし、結果は吉と出たから、よしとしよう。

 萩原作品は、『K市民』以降多くを読ませてもらった。
通常の詩集のように、数編、数十編の詩が収められた詩集ももちろんある。
 ところが、シンフォニーではないものの、そのどれにも、僕は、
音楽というか、音を感じてしまっていた。
 シマッテイタというのは、つまりその執拗なまでの音楽感触にちょっと
こまってしまってもいたからである。
 果たしてこのような文学に対して、
僕の感じかたはおかしいんじゃあないか、だった。

 たとえば、『求愛』。
ふつう前後の関係で言語が成り立つとれば、ここにある言葉の群れはちがう。
 ひとつひとつの単語が、そのままに存在を主張する、
これを詩といっていいのか迷うほど、
きわめて原始的といってもいい構造を持っている。
 たとえば、譜面上の音符のように、ある音程と長さをもってそれぞれ位置している。
その前後関係で、音楽作品が形成されているのににている。
 その上、単なる譜面と違うのは、
単語は前後のそれらとスパークしあい、紙の上ですでに音楽をし始めているのだ。

 そしてこの状態が萩原氏の目指している、この場合での最終形だと、
僕は思い込んでいた。
大間違いだった。
 なんのことはない。
萩原氏の作品は、言ってみれば音楽そのものだったのだ。
 4月29日、リーディングを聞きに行って、ほんとうによかったなあ。
 しかし、萩原作品を振り返ってみると、はじめっからそうだったのか。
 僕が気付くのがおそかっただけということなのか。
 ま、そうかもしれないけれど、今日のところは許す!?
 ともかく、この僕にとっては大発見だった。
なにか行為として充足したいとハケグチを求めていた僕には、
降ってわいた“まるで六文銭のように”の京都公演だった。
 そして、話はとんとん拍子に5月23日、京都ほんやら洞での『耳の惑い』へと
進んでいったのである。

 ちょっと待った。
弁解になるのを承知で書くと、
この時点では、5/22の“まるで六文銭のように”コンサートも、
京都在住の音楽家を中心に有志が集って、
そして、彼らの“誠意だけ”で成立させていたことを、僕は知らなかった。
 22日夜の打ち上げで、それをつくづく思い知った。
 僕らフォークのライブなんて、ほぼこうした熱意、好意によって支えられてきたし、
これからもそうなのだろうな。
 あのときの方々に、ここでひっそり、そして深く感謝。
もっと、客の呼べる音楽屋になるからね、待っていてね!
あ・り・が・と・う。

 話をもとにもどすと、つまりこれはチャンスと、
23日ほんやら洞ライブをと便乗したのだった。
 さらに弁解させてもらうと、
萩原氏も僕も、23日ライブは“持ち出し”デスヨ。
 実現が決まって後の僕の作業は、
手許にあった平井謙氏の『萩原健次郎試論』を読み直すことから始まった。
この試論も、実は誰かこの評論自体を評論してほしいほど、濃い作品であるが、
一応今回については脇役ということで、あえておとなしく通過する。

 とはいえ、おどろきのこの一冊は、
僕をその後しばらく、萩原世界に閉じ込めてしまうのに十分なパワーを秘めていた。
イタ、とここで書いている僕はつまり、ちゃんとそれまで読んでいなかったのだ。
スンません。
 ただ、驚かなかった部分も実はあるのだ。
 引用された論文の中にも萩原作品の音楽性をいうところは多い。
そうして、話法としての言葉を詩に取り込んでいるとする、評価もあるし、高い。
このことを、踏まえたうえでーーー。

 5月23日、京都ほんやら洞で、僕が耳にしたものは、
萩原健次郎という歌い手のパフォーマンスだったのだ。

 4月29日のリーディングは、十数名の詩人の合同朗読会ということで、
僕としては、数少ない体験でもあり、カンゼンに身構えていた。
つまり、朗読、リーディングと、歌唱というものに分厚い壁を、
みづから築いていたのかも知れない。
 そうだったとしても、萩原氏以外、
ひとつも僕にとっては感想を持てるものに出会わなかったのは、
たんに不運だったといっていいのか。
 そんなに僕は耳が悪いのか。
あっ、やっぱりワルイノカ・・・なんて反省は一人ででも出来る。
 
  いやー、23日は目からうろこがおちた、耳の場合はどういいますか。

 だから、もし萩原健次郎がミュージシャンなら、
今月の新譜とか、推薦盤とか、様々な音楽評論にさらされても、
結局、歌ったもの勝ちとなるということだ。
 平井氏の書かれたような、ともすれば愛情あふれてしまう「萩原論」は
もちろん、そのまま歌い手の燃料になるからいい。
 たとえば、なにか気のない“ご紹介文”などの場合は、
気にとめずに、ひた走ればいいのだ。
 ファイナルファンタジーの平原みたいな場所を、爆走する感じである。
それにしても、
駆け回る平原の出てこない巻のファイナルファンタジーはじつにつまらない!

 萩原氏から受けた音楽は、僕には歌であった。
それも、こってりと関西弁であり、浪花節であり、
字づらで感じるような前衛的なものは、ほぼかげをひそめて、
救急車のサイレンみたいに迫って来たのだった。
 
 彼のリーディングは、劇場で聞いたとしたら浄瑠璃であり、
街中で聞くとしたら、端唄、長唄のように聞こえるのではないか。
すくなくとも、タイムカプセルに乗ってやってきた宇宙人には、
江戸後期の巷にながれる歌舞音曲と平成の萩原リーディングの区別はつくまい。
 
2002年に発表された詩集『冬白』の中の、「冬の池 若冲に」のなかほど。、
 
凍える人と凍える人が抱きあって
も温かくならない


 ほとんど「火の用心」みたいな、
日々の使用に耐えられる、種も仕掛けもないこの詩片に僕は見とれる。
 ほかに言いようがないという、
詩人にとっては究極の出来事がおきたあかしだ。

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