夢眠のフォーク畑 005 |
ブルースじゃないブルース
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ブルースである。
港町ブルースとか伊勢崎町ブルース、受験生ブルースでもまあいい。
ありゃブルースですか?
なんだかさ、妙なところに半音のある音階で、
小節数とか曲の構成なんかも固まっててさ、
BBキングとか、"スリーピー"ミシシッピ・ジョン・ハートとか、ああいうのがブルースでしょ?
森進一とか淡谷のり子とか、むせびなくテナー・サックスなんてのはブルースじゃないよね?
あれはね、「ブルース」っていう言葉の音だけ借りたの。
なんとなく響きがカッコいいでしょ……
などと、したり顔で教えてくれたフォーク・ファンに、
「じゃ、フォーク・ソングと同じだね」とたたみかけると、ムッとされた。
似たようなもんじゃんかと、ボクは独りでほくそえむ。
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Folk Song。日本語に訳せば「民謡」だ。
50年代から60年代初頭、ポール・アンカとかニール・セダカ、
さらには、あのエルビスなんかに席巻された時代に、
古き善きアメリカの伝統音楽を見直してみませんかという呼びかけがあった。
だから、始まりは「民謡」なのだ。
そして、昔の歌を昔のままに歌うことを潔しとしなかった連中が、
その当時の音楽性を加味し、場合によっては詞や曲を付け替えたりして歌った。
で、付け替えてもいいのならと、自分の主張を盛り込み始めた。
ベトナム戦争が泥沼化し、ケネディやキング牧師が暗殺された、あの頃のことだ。
だから、ボクは思うのだ。
「伝統性」と「現代性・音楽性」と「メッセージ」を併せ持つ歌こそが、
本来のフォーク・ソングなのだ、と。
もし、この日本で正しくフォークの精神を受け継いでいる者があるとすれば、
それはフォーク・ソングを取り巻く連中ではなくて、
津軽三味線に打ち込む若者たちなのではないか、と。
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グラミー賞の分類によれば、
フォーク部門はトラディッショナルとコンテンポラリー(いわゆるモダン)に
明確に分けられている。
後者の代表にP.P.M.を挙げておこう、小室等に敬意を表して。
P.P.M.といっても「大氣中の汚染物質の含有量」のことじゃない。
ピーターとポールとマリーという3人組のユニット名である。
しかし、あちらの連中はなんでこういう安易な名前の付け方をしますかねぇ。
サイモン&ガーファンクルしかり、CSN&Yなんてのもいたっけ。
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そこへいくと、こちらは「等、恒平&お佳」じゃなくて「六文銭」だもの。
『月と6ペンス』を邦訳し、馴染みのある真田六文銭に託した。
近頃じゃ、ご丁寧に「…のように」まで付けている。
花も実もあるというかね。
さすがワビサビの国の住人だけある。
肉ばっか喰ってるガサツな連中とはわけが違う。
まあ、ボクの好みで名付けるなら、「お佳恒平等」でしょうかね。
最後の一文字の読み方によっては、御大が消える……。
ところが、だ。
そのP.P.M.を聴いて感動した日本人がいた。
さすが、アメリカ!
コメばっか喰ってるセコイ日本人とはわけが違う。
と、いうわけで、必死にコピーするのだが……。
夢眠
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