夢眠のフォーク畑 011 |
箸 休 め
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このページを読んでくれた友人から電話があった。
「お前も相変わらずだねぇ。それにしても…」と、ヤツは言った。
「どうしてそう理屈っぽいの? 大福の皮とあんこを別々に食っても美味くないでしょ」。
物の喩えとしてはヤツのほうが巧い。
確かにある歌を聴いて感動するのは理屈じゃない。
このソの後になんでミ♭が来るのか、当たり前のひと言になんでグッとくるのか。
コード進行がどうとか語感の響きがこうとか、そりゃ後からの理屈で、
幸か不幸か絶対音感やら鋭敏な感受性など持ち合わせていないボクとしては、
そこまで分析してグッときているわけじゃない。
でもね、不思議なのだよ。
同じ歌手の同じような歌で、こっちは好きであっちは嫌いということがある。
なんで?
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国民はそのレベルにふさわしい政府しか持ち得ないのだとか。
ならば、一流の演奏家は一流の観客が育てるのだし、
逆もまた真なりで、一流の観客は一流の演奏家が育てるのだろう。
残念ながら、一流どころか五流の演奏家にすらなれなかったボクとしては、
せめて、好きなフォーク・ソングに関しては、一流の観客をめざしたいと思っている。
だから、面白くなかったコンサートでは拍手はしない。
アンコールも求めない。そりゃまあ、やりゃ聴くけどさ。
で、なんで面白くなかったのかを考えてみる。
もしボクが演奏家なら面白いコンサートをそいつに見せ付けてやるのだが、
残念ながら、言葉でしか説明できない。
批評を悪口だと思っている人がいる。
あるいは逆に感想は誉めなきゃいけないものだとかね。
「私の好きな○○さんの歌をけなすなんて。
分かんないアンタのレベルが低いのよ」という反論も、
あながち的外れとばかりも言えないが、贔屓の引き倒しってのもマズイんじゃないの?
まあ、それがアイドル・タレントなら彼女がそこにいるだけでファンは満足するのだろうが、
それはもう、批評なんぞの対象外。
アイドルとは、批評を超えた存在なのである。
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いくら惚れた女が作ってくれた料理でも、
そりゃ一所懸命に作ってくれたことは認めるが、まずいものはまずい。
手抜きでもうまいものはうまい。
恋人時代に甘い顔して「おいしいよ〜ん」なんて言うから、図に乗って、
所帯をもってから苦労するのだ。
しかし、これを貫くには覚悟がいる。
「おいしい」と言わせる料理のレパートリーを2、3品はモノにしておかなければならない。
これでどうだ!ってね。
その覚悟と準備がないなら黙って食うべし。
うまいときだけうまいと言おう。
あなたの批評が正鵠を射ていれば、相手は文句を言わないはずだ。
まあ、いいわけめいた言辞を弄するか、向きになって反論してくるか、
プイとそっぽを向くか。
対応は様々だろうが、しかし、相手の成長につながる。
あなたの批評がまるで的外れなら、単なる知ったかぶりとして見られるだけだ。
ま、詰まるところ、自分の好みや感性を信じるしかないのだけれど、ね。
だからボクはフォーク・ソング以外の曲も聴く。
クラシックだって、ジャズだって、ラテンだって何だって聴く。
気に入らなきゃ消すか、退出するかだ。
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電話の友人にボクはこう答えた。
「お前はそう言うけどねえ、2、3日前の大福なら別々にして鍋で茹でりゃ、
お汁粉風でなんとか食えるぞ」
夢眠
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Copyright©2001-2003 Kouhei Oikawa(kohe@music.email.ne.jp)
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