夢眠のフォーク畑 029 |
ただ懐かしいだけの歌でなく |
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「及川恒平のコンサートに行って来た」と言ったら、 「へえ、懐かしいなぁ、あの人、まだ歌ってんの?」ときた。 一般ピープルの認識はそんなもんである。 懐かしいという個人の感情に口を挟める筋合いではないが、 しかし、現役歌手とそのファンにとっては不穏当な発言であろう。 「彼はもう過去の人かね?」と、冗談交じりに問い質したら、 「過去っていうより・・・伝説の人!」。 なるほど。 物は言いようである。 事と次第で角が立つ。 ♪面影橋から〜 と歌いだしたら、後について口ずさんできた職場の後輩がいた。 都電・荒川線の車中だった。 「お前の歳で、よくこの歌知ってるなぁ」と感心したら、 「親父が歌ってましたから」だとさ。 ヤツの音楽の教科書には『翼をください』が載っていたそうな。 時代は確実に過ぎていく。 |
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1975年を基点にしよう。 フォーク・ソングがニュー・ミュージックなる言葉に置き換えられてきた頃だ。 あれから30年・・・ 現実にその流れの中に身を置いていた者としては、さほどの長さには感じない。 折に触れ、たとえば、何十年振りかのクラス会で、 可愛かったあの娘が見事な中年オバンへと変貌した姿を目の当たりにして、 時の流れに思いを馳せ、現実の残酷さに愕然とするくらいのものだ。 ま、お互いさまなんだけどね。 ボクの体重と腹囲なんか確実に・・・ しかし、その30年のモノサシを過去の側に倒せば1945年、つまり敗戦の年に届く。 『りんごの歌』から『いちご白書をもう一度』までと考えれば、 かなりの隔たりを感じずにはいられない。 フォーク・ソングの定義は難しい。 ただ、和製フォークの欠点として「伝統性の欠如」が指摘されることが多い。 フォーク・ソングを標榜するなら日本古来の音楽にも目を向けるべきだとかなんとか。 一理はある、と思う。 だが残念ながら、よほど特殊な環境にでも育たない限り、 戦後の音楽教育を受けてきた者の体の中には 四七抜き音階とか雅楽の旋法なぞ染み込んではおらんのだよ。 リズムは頭打ちだったりするけれど、これはもう明治維新以来、 和魂洋才的音楽教育の成果であり、伝統なのである。 頭の中の五線譜には西洋と同じオタマジャクシが泳いでおり、 4分の4拍子は刻めても、子守唄の2分の2拍子には戸惑ってしまう。 それが現実なんである。巧拙はさておき、 ギターは弾けても、三味線には触ったことすらない人間が多いんである。 |
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で、結局、何が言いたいのかというと、誕生以来30年余の時を経て、 親から子へ世代を超えて引き継がれてきた和製フォークがあるとすれば、 もうそろそろ新しい時代の「民謡」と呼んでも差し支えないんじゃないか、と。 三味線で歌う民謡もそれはそれで評価するけれど、 ギターで伴奏する西洋音階の日本民謡があってもいいんじゃないか、と。 もっと単純にいえば、フォーク・ソングが単なる使い捨ての流行歌もどきから (30年間という)伝統に根ざしたスタンダード・ナンバーに転換していけそうな時期が 到来したのだ! フォーク・ソングを再評価させるチャンスが来たのだ! 出自がどうあろうと、悲しいにつけ楽しいにつけ唇をついて出る歌、 しかもナン十年かの間、その歌がボクとともに生き延びてきたのなら、 それは懐かしいだけの歌なんかじゃない。 それこそが、紛れもない「フォーク・ソング」なのだと思う。 それぞれの想いを込めたそれぞれの歌が積み重なれば、 それはやがて文化の域に達するはずだ。 すべてとは言わないし、青春の思い出として美化しすぎているのかもしれないが、 洋の東西を問わず、フォーク・ソング、あるいはニュー・ミュージックと称される歌の中に そんな可能性を持った歌が数多く埋もれている。 そして、歌謡曲とは違う何かを含みながら、今も産み出されている。 その「何か」とは・・・ 懐かしいだけの歌じゃなく、フォーク・ソングは、 常に現在進行形のまま、ボクの中にある。 |
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・・・とかなんとか、好き勝手なことを書き散らしてきました。 振り返れば28回プラスアルファ(?)、期間にして1年以上になります。 で、今回をもって一旦、休止させてもらうことにしました。 もともと編集や企画なんぞの仕事をやっていたものですから、 ほとんど無計画無秩序に思いつくまま、 内容はもちろん、原稿量も字詰めも自由に書き進めていいという「HP」なるもの、 楽しい反面、戸惑い放しの28稿でした。 編集長(?)である及川さんはじめ、感想やら励ましやらお叱りやらいただいた皆さん、 たま〜には読んでいたという方々も含めて、ありがとうございました。 休止がそのまま終止になるか、あるいは別の形でお目にかかることになるのか、 そんな先のこと、分かりません。 ただ、ここに書かせていただいたことを自分の中でもっともっと膨らませていきたいな、 と思いつつ、夢眠はしばし冬眠です。 レコードからCDとなり、いまやネット配信なるものまで、 音楽をめぐる状況は変わり続けています。 でも、どんな形になろうと、ボクは一介のフォーク・ソング・ファンでありたいと願っています。 ファンであることに足る音楽なのだと信じています。 では、また。いつか、どこかで・・・ 夢眠 |
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