キングサーモンのいる島


歌のはなし 曲名 公表作品 作詞者 作曲者
043 キングサーモンのいる島 『キングサーモンのいる島』六文銭 及川恒平 及川恒平 



4/4
key=
E♭
Capo=3


《前奏》    C/E  Dm7/G7   A♭/G7   C
       C/E  Dm7/G7   A♭/G7    C

  C/E  Dm7/G7   A♭/G7   C
キングサーモン      川面を   跳ねて
  C/E  Dm7/G7  A♭/G7      C
白い  息を吐けば   辺りはいよいよ寒くなる

  C/E  Dm7/G7  A♭/G7   C
オホーツクの果て    波の     上に
  C/E  Dm7/G7  A♭/G7     C
ユラリ  ユラユラ    そんな小さな島がある

 C△7/F△7  C    C△7/F△7        C
橋の上で   僕は  手袋や帽子の上から染み透る
  D/C        D/C     A/AaddB D/Em7  C  ÷
寒さに打たれて  その時きっと  立ち竦む


  C/E  Dm7/G7   A♭/G7   C
キングサーモン      忘れて いる  よ
  C/E  Dm7/G7  A♭/G7       C
氷の夜が 来れば    お前の行き場が消えて行く

  C/E  Dm7/G7  A♭/G7   C
オホーツクの果て    波の     上に
  C/E  Dm7/G7   A♭/G7   C
ユラリ ユラユラ    そんな小さな島がある

 C△7/F△7  C    C△7/F△7        C
橋の上で    僕は  眠り  ながら    考える
  D/C       D/C     A/AaddB  D/Em7  C  ÷
キングサーモンの  熱いステーキが  食べたい    な


 C/E   Dm7/G7  A♭/G7    C
キングサーモン     オホーツクの 海にも
 C/E  Dm7/G7   A♭/G7   C
夜のテーブルの上にも  姿が  見えない
  C/E  Dm7/G7  A♭/G7   C
るるる…

F.O.





kushiro-yakei


  
  この歌は、僕が所属した「最後の六文銭」の唯一のスタジオ録音盤に収録されている。
どういう訳か、アルバム・タイトル曲になった。

 こんな記憶装置でも、あのころのことは鮮明に残っている。
それは、この曲を初めてメンバーの前で披露したとき、
リーダーの小室等が「いいね」とほめてくれたことだ。
 たったひとことだったけれど、僕は、すっかり安堵したのだった。
たとえ慰めやはずみで、彼が口にしてしまったにせよ、
あのときの僕にかくれた意味など届くはずもない。
 「いいね」
スウィートな響きだった。

作者は自分の歌の解説は極力さけるべきである。
 ワカッテルワイ、ソンナコタア。


 続けマス。

 以後録音完了まで、そのたったひとことにしがみついて、
ありったけの「自信」をかき集めた。
 そうなると、典型的な若気の至りで、町内会の小天狗、糸(意図)の切れた奴凧、

ネオンサインジェットコースター

などなど、何とでも揶揄しほうだいの状態に突入したのである。

  内心、我ながらけっこうユニークなコード進行と思えるとか、
リアリティのある歌詞(どこが)とか、親しい友人たちにではあるが
そんなせりふを吐くようになった。
 ユニークとは、アリエナーイことかも知れないと実はびくびくしながらだったが、
そんなことはおくびにも出さなかった(はずだ)。
 やがて歌にとってのリアリティと自分の感覚のずれを
思い知ることになったりするのだけれど・・・
おまけに、さすがに他言はしなかったが、
世紀を超えて残る名曲かもしれない、ひょっとして、位は、思っていたのである。


 小室発言に勢いをえた僕は、がぜん編曲にも口をだすことになる。
 たとえば、この歌は、北国を描いた歌なのだから、
ロシアの民族楽器バラライカが必要だ、と打ち合わせで断言した。
 勢いとはおそろしいもので、
わけのわからない青年の主張でさえも、通ってしまうのだった。
当時としてては、困難なバラライカ奏者を探し出して、スタジオで録音してもらった。
当の発言者はバラライカの音色なんて、
映画の「ドクトルジバゴ」の主題曲「ララのテーマ」でしか知らないのだから、恐れ入る。
 
 このあたり、関係者は読んでいないとの判断で書いている。
ほとんどないだろう、ネンダイ的に。
 たとえ誰かにあとから、このページのことを聞いても
カレラが「ソウダッタノカッ」的な書き込みをして
この話があとをひく心配もあまりない。
いや、ほとんどない、ネンダイ的に。
 などと、みょうに強気な発言をするときは、人間、余裕のないときだ。


  続けマス。

  鮭が白い息を吐くか、と聞かれたときの答えを、とりあえず用意した。
それは「見たのだ、実際に」であった。

 続いて、熱いステーキというところ、お前のような“欠食児童(なつかしいサベツヨウゴ)”は
熱いではなく、厚いだろうとつっこまれた場合は、変更する予定もあった。
実際「サーモン・ステーキ」という,ネーミンクの食べ物には、
まだありついていなかったのだし。

 また、小さな島に、鮭が溯上できるような川があるのかと、
論理的に指摘された場合を、つねに考えてもいた。
勉強したわけではない。
つまり考えていたのは、どう言い逃れしようかについてだ。

 だいたいユラユラだなんて、ひょっこりひょうたん島かそれは、との追及も恐れたし。
 いやいや待てよ、僕は本当に、ひょうたん島をイメージしていたような気もしてきた。
 

 次いきます。

、行き場が消える、という箇所。
おそらく今まで、作者の書いた意味を理解してくれた、そんな奇特な方はいないだろう。
 なにやら深い意味にもとれそうで、僕もあえて説明はさけてきた。

 これまで恥ずかしくて言えなかった真意は以下。
 つまり、鮭は川をさかのぼるとき、しばしば川面を一メートルほど跳ねたりする。
そう、白い息を吐きながら。
父に実際そんな川に連れて行ってもらって目撃したのだから、嘘なんかじゃないのだ。

 跳ねた瞬間に川が凍りついたら、ほら、その鮭は行き場がなくなるでしょ?
 しかし、なにが、ほら、なのだろうか。 

 
 実はこれは、環境問題についての主張をこめた歌なのである。
と、言い放ってみたいところでもあるけど、当時、そんなことはつゆほども考えていない。

 更に、続けマス。
 
 人はほめられて大きくなるのはたしかである。
だから、ほめることは、大切なことである。
 それは間違いないけれど、ほめられる者の人間性によって
大きくなる場所は多様であることに、ほめる者はぜひ注意ぶかくなってほしいものだ

 この歌をほめた小室さんは、もうすっかりその事実を忘れているだろうが、
こうして、彼のおかげで僕の心はおおきくなった。
タイドと共に。

以上、指導的立場にあるひとへのアドバイスとしたい。
この文章、どこにたどり着いたらいいのやら、もうまるでワカンナイ・・・
いつか、ひそかにさしかえることになるんだろうなあ。


 作者は自分の歌の解説は極力さけるべきである。
ついでながら、書くことがないのに無理に書くのもやめたほうがいい。
ワカッテルワイ、ソンナコタア・・・。



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