歌のはなし  曲名 公表作品 作詞者 作曲者
047  『初めの頃』   名前の無い君の部屋   及川恒平   及川恒平  
歌のはなしトップへ            トップへ

4/4




 C    E      C    F    A     ÷
逃げる 僕 おいしい 白い 絵の具
 D             A   
電車が踏み切りを真っ二つ
 D           A
白い玉  アメリカンロール
 E♭   B♭       E♭      B♭   A7   G7
パクパク 食べて  並んで 遮断機の前


 C    E      C    F    A    ÷
逃げる 僕 おいしい 白い 絵の具
  D          A   
喫茶店に 入ろうかどうか
  D         A
迷うたびに 君が笑う
 E♭     B♭      E♭       B♭  A7  G7
もう直ぐ気が変わり もう直ぐ行ってしまうのかな


 C    E     C    F     A    ÷
逃げる 僕 おいしい 白い 絵の具
 D          A   
映画を 見ていた僕たち
 D            A
知らぬ間に 朝がやってきて
 E♭    B♭       E♭     B♭  A7   G7
七百円ばかりと コーヒーを  飲む約束


C     E     C     F      A  
逃げる 僕 おいしい 白い 絵の具

 この曲は、僕の最初のソロアルバムである『忘れたお話』に
歌詞カードだけは掲載したものである。
 ちょっとしたいたずら心がなかったわけではないけれど、
アルバムに収録したいという執着心が結構あったのだと思う。
 日々のありふれたスケッチだけれど、
今読み返すと、何か当時の風俗を感じてしまう。
 ことさらに、そんな意識で書いたわけではないけれど、この歌は特に強いようだ。

 最近、掲示板でどういうわけだったか、
白い絵の具は本当に美味しいのか、ということが話題になった。
 ちょっと特殊な話題にすぎないかと思っていたら、意外にもりあがった。
 
 甘いのだそうた゛。
美術の先生がいったから間違いない、というオスミツキであった。
 そして、やめたほうがいい、という注意書きがそえられていた。
やめたほうがいいだろう。
 しかし、紅い絵の具は辛いのか・・・

 大昔、鉛筆をなめる癖のある子はよく注意されたものだ。
ナマリが入っているといううわさだったけれど、本当だったのだろうか。
 そして『アメリカンロール』も、掲示板で話題の花が咲いた。
それも、寿司の種類の名前として市民権を得ているという、
僕としては思いがけない知識を得た。
 この歌の場合は、パンの種類であるし、それ以外にあるとは、
僕は考えもしなかった。
 並んで遮断機の前で“寿司”たべているんじゃあね・・・

 それから、この立ち食い、という所作は、今では当たり前の風景だけれど、
当時は、存外少なかったし、女性がこうするのは、
それなりに勇気が必要だったのではなかっただろうか。
 はるか昔のことではあるが、『お菓子と娘』という歌をご存知か。

 お菓子の好きなパリ娘、
二人そろえばいそいそと角の菓子屋へボンジュール
 選る間も遅しエクレール
腰もかけずにむしゃむしゃと食べて口ふくパリ娘・・・


と、続く。
これほど、“ザンシン”な景色だった時代もあるのだ。
何かを食べる動作は色っぽ過ぎるので、異性には見せられないと、
気をつかった時代もあったのは、本で読んだ。
 しかし,食する、という行為は時代がかわっても、強く本能に則したものだから、
羞恥心が付きまとうのは当然だろう。
どんな時代でも・・・
  “喫茶店”はまだ死語になっていないのだろうか。
もし残っているにしても、それほど長いイノチじゃないはずだ。
だいたい、喫する、という動詞は喫煙以外にはほとんど使われなくなっているだろう。

 僕の十代、二十代の喫茶店はお茶を飲むというより、
時間と空間をかりに行ったものなのだ。
時には独りで本を読むために、時には数人でのおしゃべりのために。
 そしてなによりも大事だったのは、恋人と二人になるために。

 僕の田舎がのちに“画期的”だったと知った。
なにしろ、高校生同士でも喫茶店に入ってよかった。
気をつけなくてはいけなかったのは、
喫茶店によってそれぞれの高校の“公認”が決まっていたことだけだ。
  深夜映画。
都内の繁華街では、ごく普通の出来事だったけれど、
今はどうなのだろう。
朝まで数本立ての興行が打たれていた。
 じつは僕は、当時の学生としては珍しく「朝までなま映画」の経験がない。
映画館に入ると頭痛を起こす手体質だったのである。
 子供のころから学校での映画鑑賞は、教室に居残りすることが多かった。
 だから、この歌詞は想像の産物でしかないけれど、徹夜はよくした。
 僕に限らず若いころの「特権」だろう。

 ところで、今思い出す映画をあげておきます。
 「禁じられた遊び」「シェルブールの雨傘」「あかい風船」「旅芸人の記録」
アマイのばっかし…

 「逃げる僕」
これを書いた当時、この部分はてっきり僕自身の感覚だろうと考えていた。
今読み返すと、このあたりがすでに当時の「風俗」だったらしいときがつく。
微妙に共感をえることができた歌だったというのは、
情感のありようが、まさに「時代」だったのだ。
 こういうことを避けて通りたい自意識など、
言葉で、その時間を語ろうとするものにとって不可能でしかないし、
その必要もないということだろう。

歌のはなしトップへ            トップへ

Copyright©2001-2003 Kouhei Oikawa(kohe@music.email.ne.jp)