さわがしい楽園

歌のはなし 曲名 公表作品 作詞者 作曲者
065 さわがしい楽園 リリィ
及川恒平 井上鑑
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  C /G  C     F       G
街を 去った人よ  もう帰って 来るな

  C/B♭    A7   Dm7      C
今はすでに  此処も 眠る 場所じゃないよ

  F/Fm6  C   F/Bm7−5   E7/G7
ぎらつく陽の 下で  陽炎のビル  揺れる

  C/B♭      A7   Dm7     C
眼を とじて しまえば   生き残れる 街さ

C     F       G    E7    Am7/Fm7onA♭
  誰が 何処へ 行こうとも 構わないけれど

 ConG     F/Em7  FonG C  ÷ 
私はいる  このさわがしい  楽園 に


  C /G  C     F        G
街を 去った人よ  もう何も 望まないで

  C/B♭         A7    Dm7      C 
故郷(ふるさと)みたいに ここに  戻ることは 出来ない

  F/Fm6  C   F/Bm7−5   E7/G7
何処か 遠い国で   安らぎだけを 掴む

  C/B♭      A7   Dm7        C
それが 出来る ならば  ほかは いいじゃないの

C     F       G    E7    Am7/Fm7onA♭
 誰が  何処へ 行こうとも 構わないけれど

 ConG     F/Em7  FonG C  ÷ 
私はいる  このさわがしい  楽園 に


C     F       G    E7    Am7/Fm7onA♭
 誰が  何処へ 行こうとも 構わないけれど

 ConG     F/Em7  FonG C  ÷ 
私はいる  このさわがしい  楽園 に


  記憶のあいまいな歌をとりあげる。
あいまいというか、タイトル以外、ほぼ憶えていない。
題名だけは、なんとか記憶に残っていて、さも僕がつけそうな印象だ。
 「さわがしい楽園」は1977年、TBS系のTVドラマ「人間の証明」の主題歌として、
りりィさんが歌ったものだ。
 僕が、これだけ記憶していないのは、
どうも録音現場にたちあっていないせいもあると思いたい。
 しかし、それだけでは説明がつかないほど、ぼんやりしているが、
今回はそんなこと言っているばあいじゃない。

 前回の「歌のはなし」でとりあげた「終りのない歌」の終りのほうに、
「さわがしい楽園」にちょっとふれた。
 そうしたら、この歌についての資料の提供を、複数うけた。
それで、驚いたのだけれど、僕が思い込んでいた歌は、別のものだった。
つまり、

恋の破片がつきささったままぁ〜♪

という歌は「バニシング・ポイント」というもので、桑名晴子さんが歌った。
と、自信たっぷりに言えるのは、思い出したからだ。
なにがって、録音スタジオの風景をだ。
桑名さんがヘッドホーンをつけて歌っているのを、しっかりと記憶していた。
いや、記憶していたというのは、変だ、忘れていたのだからな。
いや、記憶していたから、思い出したのだ、といのはがんばりすぎか。
まあいいか。

 しかし、インターネット上にながれている「バニシングポイント」の歌詞は、
ちょっとちがうぞ。
 それから、どこかの出版社の「さわがしい楽園」の歌詞カードも、
ちょっとちがうぞ。
  前回に引き続いて、詞先(しせん)、曲先(きょくせん)のこと。
多分この曲は井上氏の曲先だ。
なぜなら、力ずくで歌詞の音数あわせしているような箇所が見える。

 「陽炎のビル揺れる♪」あたりがあやしい。
助詞の省略が生きる箇所とは思えない。

 「私はいる この騒がしい楽園に♪」の倒置も、ちょっと作為を感じる。

「安らぎだけを掴む それが出来るならば♪」の、
わさわざのギアチェンジはどうなのだろう。
 言いたいことはわかるけれど、そりゃ自分が書いたんだモノ、
したったらずな印象は否めない。

 曲先のばあいどうしたって、どこかにそんな痕跡があるものだ。
最近はよくあることだと、もれきくが、
はちゃめちゃイングリッシュで歌ったデモテープを貰って歌詞をはめこんだことがある。
 はじめはびっくりしたけれど、作曲側の事情がだんだんわかっていった。
つまり英語にあるニュアンスを大事にしたいとすれば、
それ以外に方法はないのだ。
ただし、日本語で歌詞をかかなければならない僕は、どうしたらいいのだ。
 そんなイントネーションを再現するのはとうてい不可能だった。
フツウの日本語で書いて、おそるおそる提出したのだった。
彼は、そんな僕の苦悩などてんで気がつかずに、喜んでくれた。
気が抜けた。

 しかーし、ここまで書いてはっとしている。
もしエピソードまでつけ「さわがしい楽園」が詞先だったら、
いったい僕はなんと弁解すればいいのだ。
井上氏はじめ、関係者全員すっかり忘れていることを祈るのみ。
 作曲の井上鑑氏のこと。
彼は、なかまうちでは「Akira−san」とか「〜kun」とか呼ばれていて、
年下だったせいか、それともあの風貌からかアイドルっぽく愛されていた。

 ときどきは僕の家にも足を運んでくれた。
そのころ僕は、紙相撲にはまっていた。
後輩のミュージシャンが持ち込んだのがきっかけだったが、
日々、紙の力士を誕生させては、ボール紙で作った土俵の上で取り組ませていた。
ちゃんと本場所もあり、当然、前相撲からあるし、番付もあれば、
電飾の国技館もあるという、ホンカクテキなものだったのだ。
その紙相撲に、鑑さんも力士を何人か提供してくれた。
けっこう、ちゃんと付き合ってくれたのだった。
 僕をケイベツしたりせずに、ありがとうと伝えたい。
 
 そんななかまのひとりベースのキンダイチ氏が、
札幌駅の北で喫茶店をやっていると聞いた。
今度札幌に行ったら、づぇったい探すぞお。

 鑑さんのこと。
僕が当時のラジオ関東で深夜放送を担当していたころ、
ヤマガタスミコさんという、愛らしいフォークシンガーが登場した。
僕のの担当のあと、午前3時からは故山平和彦が担当していて、
そちらの時間によく出演していた。
もしかしたら、レギュラーだったかも。
 じきに、鑑さんと一緒になられたのだが、僕には電光石火のごとく感じられた。
そして、彼の活躍はいっそう幅の広いものになっていった。

 そう、僕はといえば、前回の「歌のはなし」に書いたように、
いっそうハバのせまいものになっていったのであった。
紙相撲などの遊びも、続ける環境からは程遠いことになっていった。
  ところで、2番の故郷をフルサトと読ませているけれど、
コキョウとしないことによって、1番との音数の差がいちじるしくなっている。
実際に聞いて確かめなければわからないけれど、
なぜこんなことしたのか、自分では、わからない・・・。



追記。
 と、コキョウとフルサトとの読み方の、音数の違いについて書いたところ、
それほどちがわないんじゃないかと、実際に音源にあたってくれた方から、
連絡があった。
 それよりも、読みのちがいによる意味の変化のほうが大きい、との指摘もあった。
まったくそのとおりだ。
当時、僕がそこまで意識して欠いていたかどうか、はなはだあやしい・・・。
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